ヨーガスートラ 1章33節~1章43節





मैत्रीकरुणामुदितोपेक्षाणां सुखदुःखपुण्यापुण्यविषयाणां भावनातश्चित्तप्रसादनम्  33

マェトリーカルナームディトーペークシャーナーン 
スカ ドゥカ プンニャープニャヤ ヴィシャヤーナーン 
バーヴァナータシュチッタプラサーダナン

सुख スカ 幸福
दुःख  ドゥカ 不幸

पुण्य  プニャ 善行 
(対義語 पाप パーパ “悪行” )
अपुण्य  アプニャ 
 善行でないこと。悪業。
 否定の意味を表す“ア”(が接頭辞としてプニャ(पुण्यにつき、反対語を作る。

मैत्री  マェトリー 友好的、人の幸せを望む
करुणा カルナー 哀れみ 同情

मुदित  ムディタ 喜び  
(原文ではमुदितोとなっていますが、後ろのउपेक्षाと繋がるとサンディの法則でमुदितोとなります。)

उपेक्षा ウペークシャー 捨 無頓着 無視する 気にかけない

भावनात: バーヴァナータハ
 気持ちをおこすことで

चित्तप्रसादनम् チッタプラサーダナン
 心が澄んで静寂になる。


幸せな人に対し友好的になり幸福が増すことを願い、
悲しむ人を見ては共に哀れみ苦しみを取り去るよう努め、
善行を行う人に共感と喜びをしめし、
悪い行為をする人に対し気にかけないようにする。
これにより心は清澄になる。

「他人の喜びや悲しみには全面的に向き合い、
自分の身におこることはとらわれないようにする」という
【菩薩道の教え“四無量心”】と同じことが説かれています。

慈(マェトリー)は他の幸福を望む⇔貪り
悲(カルナー)は他の苦を悲しみ、苦を取り除く⇔冷淡
喜(ムディタ)は他の幸福を喜び、増やす⇔妬み
捨(ウペークシャー)は平静な心でいる、無関心⇔怒り




प्रच्छर्दनविधारणाभ्यां वा प्राणस्य ॥34

プラッチャルダナ ヴィダーラナービャーン ヴァー プラーナスヤ

वा  ヴァー もしくは
प्राणस्य  プラーナスヤ  プラーナ気を
प्रच्छर्दन  プラッチャルダナ  気を出すこと
विधारणा ヴィダーラナー 気を止める作法

もしくは、プラーナ気を何度も何度も吐き出して空にしてから息を止める作法によっても心の汚れが消えていきます。
(*これは、後世クンバカと呼ばれるようになったものです。)



विषयवती वा प्रवृत्तिरुत्पन्ना मनसः स्थिति निबन्धिनी 35

ヴィシャヤワティー ヴァー プラブリッティルトパンナー

マナサハ スティティニバンダニー

विषयवती प्रवृत्ति ヴィシャヤワティー プラブリッティ
修練を積んでいくと、ある時から神聖な音を感じたり、花やお香のような美しい香りを感じるようになります。このような現象をヴィシャヤワティープラヴリッティと言います。また、内側から響く神聖な音をナーダ音と言います。

उत्पन्ना ウトパンナー 生じる

वा ヴァー これも

मनस: マナサハ 心を

स्थितिनिबन्धनी スティティニバンダニー 不動にする


विशोका वा ज्योतिष्मती ॥36
ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュマティー

वा ヴァー そのほか

विशोका ヴィショーカー 悲しみと無縁の

ज्योतिष्मती ジョーティシュマティー 
魂の本質が発する光。
心が完全にサトヴィックな状態で満たされ寂静な状態。
この内側からあふれ出す光によっても心を不動のものとする。


वीतराग विषयम् वा चित्तम् 37

ヴィータラーガ ヴィシャヤン ヴァー チッタン

वीतराग ヴィータラーガ  世俗の欲を去った(聖者)

वीतरागविषयम् ヴィータラーガ ヴィシャヤン
世俗の欲を去った聖者の心に焦点を合わせる者

चित्तम् チッタン 心
वाヴァー これもまた(心を不動にする)

愛着や執念にとらわれていない先人の心に焦点を合わせ集中することで、その人の心の清澄さを受けることができ、心が不動になる。

余談

 シヴァ神が人間として修行していた太古の時代、まだ神として崇められる前の人間として修行していた時の話です。結婚後も修行に没頭してパールヴァティ妃が目の前にいても視界に入らないほど瞑想にのめり込んでいました。瞑想に8年ほど没頭していた言われます。

その時、シヴァが集中していたのは神に対して、宇宙の大いなるエネルギーに対してでした。バクティヨーガ(信仰のヨガ)の起源とされます。

その神に対する瞑想のエネルギーが巨大になりすぎて、山中から町に住む住民たちへ伝わり、仕事を辞め家を捨て大勢の人が山に籠って瞑想をするほどまでになった、という言い伝えがあります。

皆が出家して社会が成り立たなくなるほどの瞑想エネルギーだったために、のちに在家であってもダルマを遵守しながら修行ができるようカルマヨーガなど多岐に渡るヨガが発展していったと伝えられています。自分よりも修行が進んだ師、イメージをしやすい人の心に対し、集中することでもまた心の清澄を得られます。



स्वप्ननिद्रा ज्ञानालम्बनं वा  38

スワプナ 二ドラー ギャーナーランバナン ヴァー


स्वप्न निद्रा  スワプナ 二ドラー 夢想、空想。眠り 睡眠。
ज्ञानालम्बनं वा  ギャーナーランバナン ヴァー


睡眠中に得た叡智に瞑想することによっても心を不動にする。


*夢から目が覚めた時、何か夢を見たような気がするけど、覚えていないなあ、というのはよくあることですが、夢を見ているときも超集中し、目覚めた時も具体的に覚えているほどの集中力があれば、心を不動にします




यथाभिमतध्यानाद्वा॥39
ヤタービマタデャーナードワー

यथाभिमतध्यानात् ヤタービマタデャーナート
他に自分の関心のあるものに対して瞑想をすることによって

वाヴァー これもまた(心を不動にする)



परमाणु परममहत्त्वान्तोऽस्य वशीकारः ॥40

パラマーヌ パラママハットヴァーントアスヤ ワシーカーラハ

अस्य アスヤ
その時(心が不動になった時)

परमाणु  パラマーヌ 原子、分子、極小分子
(パラマपरम 極めて+ アヌअणु 極小

परममहत्त्व  パラママハットヴァ 極大の無限者

वशीकार: ヴァシーカーラハ 
自在に思いのまま集中しサマーディに入れる状態

集中が極まった時、分子レベルの小さなものから、象や天体や雲の動きなど巨大な存在まで、自在に支配できるほどの力をなす。


क्षीणवृत्तेरभिजातस्येव मणेर्ग्रहीतृग्रहणग्राह्येषु तत्स्थतदञ्जनता समापत्तिः 41

クシーナヴリッテーラビジャータスイェーヴァ
マネールグラヒートゥリ グラハナ グラーハイェーシュ
タトスタタダンジャナター サマーパッティヒ

क्षीणवृत्ते: クシーナヴリッテーへ
外部からの影響に心が作用しなくなった時

मणेः इव अभिजातस्य マネーへ イヴァ アビジャータスヤ
水晶玉のように澄み切った心には

ग्रहीतृग्रहणग्राह्येषु グラヒートゥリグラハナ グラーハイェーシュ
認識している主体、感覚器官や対象物を察知する器官、認識しようとしている物体が

तत्स्थतदञ्जनता タトスタタダンジャナター
心がとどまり、没入して一体化する

समापत्ति: サマーパッティヒ
これが定である。

原文のテキストにはサマーパッティのことを、1章17節でものべられたサンプラジュニャータ サマーディ( = सम्प्रज्ञात समाधि)と示していて、他の日本語訳本では定と訳されてあることもあります。


集中が究極になった時、認識している私、感覚器官、物体の区別がなく、水晶玉にモノが映るかのようにすべてが一体化したかのようになる。水晶玉と対象物が一体化するという例えから、そこには疑いや疑問の念も入らなくなります。

【単語補足】
ग्रहीता グラヒーター(पुरूष プルーシャ )認識主体
ग्रहण  グラハナ 
(=アンタハ カラナअंत:करण 心の内部 + インドリヤーンइंद्रियाँ 感覚器官) 認識器官のこと。グラハナの最も微細なものがアスミター。

ग्राह्य  グラーヒヤ (=パンチャブータपंच भूत 五大元素   + ヴィシャヤ विषय対象物) 認識対象のこと。グラーヒヤの形が微細な直接目で見えないようなものである時、それはタンマートラとよばれる五唯。

この後の、1章44、47、49には、
ग्राह्य グラーヒヤ ग्रहणグラハナ ग्रहीता グラヒーター 
にそれぞれサンヤマ(三昧・集中)した場合の結果が述べられています。



तत्र शब्दार्थज्ञानविकल्पैः संकीर्णा सवितर्का 42
タトラ シャブダールタ ジュニャーナ ヴィカルパェヘ
サンキールナー サヴィタルカー

तत्र タトラ
शब्द  シャブダ 言葉、(名称など)
अर्थ  アルタ 客体 
ज्ञान  ジュニャーナ。観念、知識
विकल्प  ヴィカルパ (上記3つの)分別智(分析 イマジネーション)
संकीर्ण サンキールナ
समापत्ति  サマーパッティ 定
सवितर्क  サヴィタルカ 有尋定


補足用語;解説の最終行


・他の呼び方として、सविकल्प योग  サヴィカルパ ヨーガ
“サ”というのは伴うという意味があり、分別智が働くという意味で、ヨーガというのは三昧という意味です。

अर्थ  アルタ のことを多くの日本語訳本では「客体」と書かれてあることが多く、客体というとインドの言葉でワストゥ、英語ではオブジェクトにあたります。その意味から、対象物、集中している物体、事象そのものを言っていると思います。
インドのヒンディ語の訳文ではサンスクリット語と同じスペリングのアルタ(अर्थ )と書かれています。アルタというのは、「意図、意向、目的、意義、解釈する」という意味があり、私は「集中している対象の存在する意義や目的、言葉の意味や解釈」というように解しています。念のためヒンディ語原文の方も記しておきました。各自で自分にとってしっくりくる方を選んでもらったらいいと思います。



स्मृतिपरिशुद्धौ स्वरूपशून्येवार्थमात्रनिर्भासा निर्वितर्का 43
スムリティパリシュダォ スワルーパ シューンイェヴァールタマートラ
ニルバーサー ニルヴィタルカー

स्मृति  スムリティ 記憶、念
परि शुद्ध  パリ シュッダ
(分別智 分析が)すっかり無くなること。主客未分の心理状態。

स्वरुप शून्या スワルーパ シューンニャ 
意識自体がなくなってしまった状態。知るものとしての自体がなくなる。
(ただ客体だけがある。)

इव イヴァ 
同様な、~のような形の

अर्थमात्र निर्भासा  アルタマートラ ニルバーサー
集中している対象だけが現れる

निर्वितर्क  ニルヴィタルカ 
(この心の状態が)無尋定とよばれるものである。

思いや集中がしばらく続くことを念(スムリティ)といい、念が続く中で次第に言葉や客体、知識についての分別や概念も考えないほどになり、集中しているものの存在だけがありありとわかる状態になる。その状態を無尋定と呼ぶ。

【補足用語 テキスト原文の解説の最終行
ニルヴィタルカ(निर्वितर्क )の別称として、निर्विकल्प समाधि ニルヴィカルパ サマーディともいいます。ヴィカルパ(विकल्प)とはイメージ、分析、分別のこと。否定の意味をもつニルを頭につけて、ニルヴィカルパ サマーディともいいます。