ヨーガスートラ 2章16節~2章19節




हेयं दुःखमनागतम्  2-16
ヘヤン ドゥカマナーガタム

「まだ到来していない苦は除去(ができる)」


हेयम् ヘヤム
除去(すべきもの)。
消滅(し得るもの)。



दुःखमनागतम् ドゥカマナーガタム
ドゥカム(दुःखम् 苦+ アナーガタム(अनागतम् 到来してない
到来していない苦


अनागतम् アナーガタム
まだ現実化していない。到来していない。



前回の215節で学んだ中で、例題として示した「帰宅したらラスグッラー(インドのお菓子)が無くなっているかもしれない、という不安」(ターパ・ドゥカ)は、将来起こるのではないかという不安に対して現在すでに心配をかかえている状態です。

216節の「将来起こりうる苦」とは、今この時点で感知していない苦で、サンスカーラの中に潜在的に眠っているかもしれないし、今後の自分のカルマ次第でサンスカーラの中に種子として新たに生むこともあります。まだ発生していない苦は心次第で除去することができます。




द्रष्टृदृश्ययोः संयोगो हेयहेतुः  2-17
ドラシュトゥリドゥリシャヤヨーホ サンヨーゴー ヘーヤヘートゥフ

「真我とプラクリティの結合こそが、除去すべき(苦の)原因である」


द्रष्टृदृश्ययोः ドラシュトゥリドゥリシャヤヨーホ
ドラシュター(見る者)ドゥリシャヤ(見られるもの)


द्रष्टा
 ドラシュター 
観照者、観る者、真我

同義語としてプルシャ(पुरुष、アートマー(आत्मा)。
アートマーはヴェーダンタ思想の中でブラフマー(梵)とあわせて使用されることが多いです。

दृश्य
 ドゥリシャヤ
見られるもの。プラクリティ。根本原質であるプラクリティの初期のエネルギーが転変してできあがったもの全て。チッタ()やアスミター(自我意識)もそれに当てはまります。

「ドゥリシャヤ」は現代ヒンディ語の中にも生きている言葉で、「景色」や「光景」という意味で使われます。プルシャが見る主体であり、ドゥリシャヤによって繰り広げられる世界をプルシャに見せるための存在として日本語訳では「見られるもの」という表現がされます。

サーンキャ哲学の二元論は「真我と根本原質」の関係のように、他の言葉にも置き換えることができます。

・ドラシュターとドゥリシャヤ
・プルシャとプラクリティ
・見る者と見られるもの

全部同じことを言っているのですが、この二つの結合(混同)がある間は、知覚でとらえたものをブッディ(覚)やアスミター(自我意識)が真の自分だと思ったり、苦が生まれる原因になります。真我はもともとゼロのような存在で増えも減りもせず何からも影響を受けることがありません。


संयोगः サンヨーガハ
結合


हेयहेतुः ヘヤヘトゥフ
消滅すべきものである。




प्रकाशक्रियास्थितिशीलं भूतेन्द्रियाअत्मकं भोगापवर्गार्थं दृश्यम् 
 2-18
プラカーシャクリヤースティッティシーラン ブーテンドリヤーアートマカン ボーガーパヴァルガールタン ドゥリシュヤム


प्रकाशक्रियास्थितिशीलं  プラカーシャクリヤースティッティシーラン
「サットヴァ、ラジャス、タマスというグナを備えており」

プラカーシャ 
光。サットヴァの象徴。

クリヤー 
行動。動き。ラジャスの象徴。

スティッティ 

物事や性質、体質などが簡単に変わらず、一定している様。
タマスの象徴。

細かくいうと「スティッティ」は、ひとつの場所にじっとしているだけでなく、そのエネルギーの流れが他に向かわず、断続的に決まった方向に向かい続けているという意味合いがあります。

例えば「瞑想中の集中が一点に継続して留まり続ける」など。止まっているようにみえて断続的にその状態、性向を変化しないようにキープし続ける力が働いています。留まっていることは、意外なことに、留まり続けるエネルギーが働いていて、それがなければラジャスのエネルギーに動かされてしまいます。

タマスの性質も増悪すれば「怠惰」「暗闇」という印象になり、一度怠惰になるとそのエネルギーが同じ方向へ向かい続けるので、ずっと怠惰、常にネガティブに陥りやすい意味合いがあります。

「タマス」という言葉をきくと避けたいイメージがありますが、「スティッティ」はタマスの特性であるけれど、場合によって良くも悪くも使われる言葉です。



भूतेन्द्रियाअत्मकं ブーテンドリヤーアートマカン
物質を形成する5大元素と知覚器官、運動器官を作り上げ、



भोगापवर्गार्थम् ボーガーパヴァルガールタン
(真我のために)経験と解放を目的とするものが



दृश्यम्   ドゥリシュヤム
(これが)ドゥリシャヤ(=プラクリティ)である。


以前ふれた話ですが、はじめに根本原質というプラクリティの大元、森羅万象のエネルギーの核というものがあって、それがグナのバランスではじけて世界ができあがりました。私たちの身体、理知、感受性、感覚器官、物体、眼に見える景色、すべてがプラクリティによって作られたものです。

このプラクリティが存在する理由は、真我にプラクリティの世界を経験させ(ボーガ)、悟らせたあとにその人にとっては必要がなくなれば解放され、プラクリティが本源へと逆転変します。真我へと意識が向いていく働きをヨーガといいます。この世の現象を経験して戻ってきたプラクリティは真我を成長させるために必要なものと必要でないものを見極めるサンスカーラが出来上がるため、何も経験せずに様々な欲求を抱えていた時よりも研ぎ澄まされます。



विशेषाविशेषलिङ्गमात्रालिङ्गानि गुणपर्वाणि  2-19
ヴィシェーシャーヴィシェーシャ リンガマートラーリンガーニ グナパルヴァーニ


"
विशेषाविशेषलिङ्गमात्रालिङ्गानि" ヴィシェーシャーヴィシェーシャ リンガマートラーリンガーニ

この世界はサーンキャ哲学の25の要素から成り立ち、プラクリティのなす世界であるグナの転変には、ヴィシェーシャアヴィシェーシャリンガマートラアリンガ、大別して4つの区分から成り立ちます。
根本プラクリティから展開されるものの分類 計24


विशेष  ヴィシェーシャ
「特徴のあるもの」
(以下16で構成されます)

पाँच स्थूल パーンチ ストゥーラ
物質を形成する5大元素
「パーンチ」は「5つ」、「ストゥーラ」は「物体、物質」の意味。

 土元素 プリトゥヴィーपृथ्वी
 水元素 ジャラजल
 火元素 アグニअग्नि
 風元素 ワーユवायु
 空元素 アーカーシャआकाश

पाँच ज्ञानेन्द्रियाँ  
パーンチ ジュニャーネンンドリヤーン(複数形表記)
単数形はジュニャーネンドリヤ。
五つの知覚器官(鼻、眼、舌、耳、身体)

पाँच कर्मेन्द्रियाँ  パーンチ カルメンドリヤーン(複数形表記)
単数形はカルメンドリヤ。
5つの行動器官(足、手、口、排泄器、生殖器)

मन マナ


अविशेष  アヴィシェーシャ 
「特徴のないもの」 
(以下6から構成されます)

पाँच तन्मात्राएँ パーンチ タンマートラエーン(複数形表記)
 5つの五唯
単数形はタンマートラー

 シャブダशब्द,
 スパルシャस्पर्श
 ルーパरूप
 ラサरस
 ガンダ गन्ध

(*タンマートラーについては過去記事145の解説を参照)

अहंकार アハンカーラ
自我意識。根本にある「私」という意識。


लिंग मात्र リンガマートラ  
上記、ヴィシェーシャ、アヴィシェーシャの原因の母体である覚(बुद्धि ブッディ)のことをいい、ウパニシャッドやバガヴァッド・ギーターではブッディという名前で示されています。


अलिंग  アリンガ   
プラクリティの核。森羅万象の本源。根本プラクリティ
同義語は「ムーラ プラクリティ」(मूल प्रकृति
(参照 バガヴァッド・ギーター 13-15

「リンガ」という言葉は「性別」や「男性的なエネルギー」「象徴」という意味があります。打消しの「ア」をつけた「アリンガ」という言葉は、特徴づけられた言葉で表現することが難しく、二元的世界の象徴をもちません。すなわち森羅万象の大元の力のことをいいます。



गुणपर्वाणि グナパルヴァーニ
(上記が)グナによって作られる世界の要素である。