ヨーガスートラ 4章1節から4章4節





第4章 
कैवल्यपादः  カェヴァルヤ パーダ



जन्मौषधिमन्त्रतपःसमाधिजाः सिद्धयः ।। 4.1 ।।

ジャナマォシャディマントラタパハ サマーディジャーハ シッダヤハ


सिद्धयः シッダヤハ
シッディは

जन्मौषधिमन्त्रतपःसमाधिजाः 
ジャナマォシャディマントラタパハ サマーディジャーハ

生まれながらにして、薬草によって、マントラによって、苦行によって、サマーディによって、起こりうる。



「薬草」について諸説があり、経文中の「オーシャディ」とは一般的に治癒目的の自然派由来の薬草や鉱物などをいいます。

水銀と硫黄の中には驚異の力が隠されていると考えるラーサーヤナという一派も存在し、処方薬と一緒に金箔を混ぜたものや、インド星占術の処方として宝石療法を勧める人もいます。人の弱みを握って「宝石療法」のために高額で売るインドの業者もいるので、石の知識がある上で適正な価格で購入することが望ましいですね。

宝石の鑑別を勉強していた時期があり、宝石固有の光の屈折率を計測したり、紫外線の反応や顕微鏡の世界を見たりすると、石の中にも宇宙を知り感嘆したものでした。

インドの人は畑の収穫物をさらに太陽光に浴びせてから食べるのを好んだり、太陽光による体の不調を和らげる趣旨の本も多いです。太陽光を体内に入れるための補助という意味でも、肌に直接石が当たるように設計されたリングやペンダントが多くみられます。

ほかには、大麻によってシッディ(もどき?)のような体験をする放浪者や外国人行者もいる話も聞きます。日本ではNGですが、インドではそれほど処罰の対象にならないとも聞きます。無論、そのようなものは扱わなくても、ヨーガを本気でやったほうが実力がついて無害でしょう。ガチガチの唯物論者がそういう薬を試すことがあれば「ああ~、こういう世界もあるんだねえ」という選択肢もできるね、という意見もありますが…。




जात्यन्तरपरिणामः प्रकृत्यापूरात् ।। 4.2 ।।

ジャーテャンタラパリナーマハ プラクリテャープーラート



जात्यन्तरपरिणामः ジャーテャンタラパリナーマハ
ある生き物から他の生き物へと転生するこの変化は

प्रकृत्यापूरात् プラクリテャープーラート
プラクリティが隙間を満たす充足性によって起こる。


ある生き物から他の生き物へと転生していく理由について、天性であるプラクリティは隙間を満たすように進化も退化も促す完全完璧な通路をもっているから。




निमित्तं अप्रयोजकं प्रकृतीनां वरणभेदस्तु ततः क्षेत्रिकवत् ।। 4.3 ।।

ニミッタム アプラヨージャカン プラクリティーナーン 

ヴァラナベーダストゥ タタハ クシェートリカヴァト



निमित्तं ニミッタム
原因が
(転変しようとする原因や進化・退化しようとする原因)

प्रकृतीनां プラクリティーナーン
プラクリティの働きを

अप्रयोजकं アプラヨージャカン
促しているのではない。

ततः タタハ
それにより

क्षेत्रिकवत् クシェートリカヴァト
農夫のように
(農夫が田畑で水路の水の流れをせき止めているものを取り除く行為のように)

वरणभेदस्तु ヴァラナベーダストゥ
阻害しているものが取り除かれるのと同じである。



転生や進化する原因によってプラクリティが動かされているのではなく、生き物の中にすでに存在する完全さのあらわれがあって、そこに転変や進化の秘密があります。

水路のせきに水を流入させる方法を知らないがために停滞しているようにみえるけれども、ひとたび農夫によって障害となるものが取り除かれると、水の性質に従って水の本性がどっと現れ、足りないところへと水が勢いよく流れていきます。私たちが、ストレスだ、苦闘だ、適者生存だというのはヴィヴェーカーナンダに言わせると無知からくる一時的で不必要な、表面的なものであり、せきを開いて水を流入させる方法を知らないがために起こるのだ、と説きます。


निर्माणचित्तान्यस्मितामात्रात् ।। 4.4 ।।

ニルマーナ チッターンヤスミターマートラート



निर्माणचित्तानि ニルマーナ チッターニ
(多くの転生によって現れる各々の)心は

अस्मितामात्रात् アスミターマートラート
我想原質から生じるものである。



アスミター(我想)とマートラー(微細な元素や原因)からできた言葉が、「アスミターマートラー」です。


犬から人間に、人間からトラに、トラから牛に転生を繰り返すとすれば、動物の生理的な特徴なども関係して、性格が多いに変わるでしょう。

「転生したあと、過去世の記憶を忘れ、性格や気性も全く異なるのであるなら、それは自分ではないし努力しても報われないから、ずばり死んだらすべて終わり。今の自分が無になるから今の生にだけ生きている。」

と考える人もいるのですが、

この経文での主張は、人間界レベルのアスミターとその他の動物界のアスミターの性質は異なるように思えても、両者の根本にひとつの我想原質があって、来世も現世も過去も、その我想原質を中核にして転生しているということです。その時その時の生の記憶の寄せ集めを元に、今の自分がいるという感覚があるけれども、実際は私達の心の内奥には色んな情報の記憶が相当たまっています。

経文の ニルマーナ チッターニ(निर्माणचित्तानिは、「顕在した心、現れた心」という意味で、私たち常人が察知している範囲の心の記憶であり、それは私達の全てではなく、我想原質を核にできたほんの心の1パートとされます。