ホーリー祭の由来となっている神話

こんばんは。

急激に暑くなりまして、夏バテ進行中です。

明日はホーリーという、色粉や色水をかけ合うお祭りのクライマックスです。すでにそれは始まっていて、顔に顔面が緑・ピンク・青といった若い人たちを道で見かけました。

意外なところで潔癖な息子は、近所の小さなお友達に色粉をつけられて半泣きで帰ってきました。顔は水でさっと洗えば簡単に落ちますが、服は浸け置きしても色が落ちず…。日本の甥っ子のおさがりですが、一応ミキハウスの服なので、今日着せるんじゃなかったと^^;

ホーリーの行事では何をされてもヘヘっと笑って過ごすのがルールです。

1週間ほど前に、ホーリーの準備のために、グッドタイムCAFEの真向かいの木の枝が伐採されていました。下の写真、黄色の矢印マークの先に男性が登っているのが見えますか?



命綱なしで木の枝の先端まで行き、何か所かを縄で結んでいました。伐採した後に下に落下させないための下準備です。猿かと思ったら人間だった!というから、優れたバランス感覚のお兄さんを見守りに見物人が集まっていました。



慣れた手つきで枝を切り落としています。これも命綱無しで。斧で切り込みを入れている枝に片足分の体重をかけてバランスをとっているように見えます。

絶妙な立ち位置で斧を振りかざして適度に切り目を入れた後、木こりのお兄さんはスタスタ枝の上を歩いて、グッドタイムカフェの上り階段の屋根に移動しました。

下でスタンバっている数人のお兄さん達は予めそこらじゅうの枝先にセッティングしていた縄を引っ張りながら枝を揺さぶって、完全に切り離す作業に入り、ここからは一致団結モード。

その後、枝が電線にひっかかって、宙ぶらりんになってまして、木こりのお兄さんの指示で、切った枝を誘導させて10分ぐらいで無事に地面に着地させていました。

万一、木の枝の重力にまけて縄に引っ張られないよう、木の根幹となる部分にも縄を何周もくくりつけて慎重に下ろす手順は、自分が一生しないような作業ですが、物理的な知恵やチームワークの凄さを教わりました。



イマドキ、都市部に住んでいると、なかなかこんな原始的な切り方を見ることができませんが、山奥の田舎に住んでいると得意な人たちが自然に集って遂行されます。


今日は伐採された木が、ガンガーのガート近くで一括りにされているのを見つけました。


牛糞を乾燥させたものがマラ状になってくくりつけられていました。牛糞は燃料にもなるので、料理でも使われますし、浄化の目的などもあるようです。


婦人たちが集まって色々供物をお供えしています。


緑のフルーツはベールという果物、小麦、お米、ターメリック、上の茶色いものは多分小麦粉と砂糖、水を練り合わせて揚げたものかな?


今夜はこれらが燃やされているのを見に行ってきました。日本のとんど祭りと似たような光景でしたね。火の粉が風に乗って舞っているところを度胸試しにこの周りを回るパリクラマをしている人も。野良犬を胸に抱えて回っている人もいて、犬は迷惑そうに吠えていましたが。

ホーリー祭の由来は、ヴィシュヌプラーナのお話の一部で、ヒランヤカシュパヤ(हिरण्य कश्पय)という古代の傲慢な裸の王様で、「私は神だ」と言っていたところ、息子のプラハラーダ(प्रहलाद)が「いや、あなたは神ではない」と言い争いが続き、王は息子に対して殺意がわきはじめます。

王の姉妹であったホーリカー(होलिका)もまた自惚れ強く、火の中に入っても私は燃え死ぬことがないと信じられていたので、王は息子とホーリカーを共に火の中に入れて、息子が焼けて死んでしまえばいいと期待していました。

ところが、息子は火中でも「オーム ナモー バガヴァテー ワースデーヴァヤ」と唱え続け、ビシュヌ神の加護により火中の中にいても「ああ、涼しいわ。アーナンド(至福)だよ。」と幸福に満ちていました。一方でホーリカーは逃げ遅れて、燃え死んでしまったのです。

その後も、王は何度も息子を死に至らせようと試みます。終いに息子の中から顕現した神の姿が王を再起不能にしました。

それで、このホーリーの火の意味は、われわれ自分達の心の中に潜むアハンカーラや自惚れをも燃え尽くす願いが込められているそうです。